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医療分野におけるICT活用の可能性と課題

2019.01.31

津田塾大学総合政策学部

教授 森田 朗 氏 


2018年12月14日に開催されたJBCCヘルスケア事業部主催の勉強会において、津田塾大学総合政策学部教授の森田朗氏をお招きし、「医療分野でのICT活用の可能性と課題」と題しご講演いただきました。森田氏は行政学者として、広く政府・官公庁の政策分野でご活躍されているほか、診療報酬を決定する中央社会保険医療協議会(中医協)の会長として医療分野に携わってきました。エストニアをはじめとした欧州諸国の先進事例に関する知見なども踏まえ、医療分野における情報化はどのように進めるべきか、そのためには何が障壁となっているのかについてお話しいただきました。講演内容を要約して紹介します。



医療分野のビッグデータの蓄積と

活用がもたらすさまざまなメリット

私は、医療分野を3つの領域に分けて整理しています。1つは「治療」。どういう病気に対して、どういうふうに治療すれば治るのか。医療技術もそうですし、医療機器、薬の開発もこれに含まれます。2つ目は「提供体制」。日本全国どこに住んでいても、一定の保険料を払えば最高水準の医療を受けられるというのが国の医療としての在り方であり、そのためには、医療資源を適切に配分していく必要があります。3つ目が「保険財政」です。持続可能な形で医療制度を運営していくには、保険財政のコントロールが不可欠です。右肩上がりの高度成長期は、税収が増え、保険財政も十分な余裕があり、いい治療が全国に普及することだけを考えていればよかったのですが、現在は限られた資源を効率的に使って、品質を維持していくことが新たな課題となっています。


これらの課題解決のカギを握るのが医療の情報化です。その目指すイメージは、全国民に対する悉皆(しっかい)データの収集です。これを過去のデータとも結びつけ、一人ひとりの時系列データとして蓄積、紐づけることによって、病気の原因の究明や、疾病が発生する場合はその予防に活用しようというものです。


医療分野におけるビッグデータの蓄積と活用には、どのようなメリットがあるのでしょうか。国民一人ひとりの健康データを蓄積したパーソナル・ヘルス・レコード(PHR)の仕組みが実現すれば、個々の患者さんに対する最適医療の提供が可能になります。北欧諸国では、そうした形でのデータの利活用が実際に行われており、ある病気で医療機関にかかった場合には、患者さんが過去にどういう治療を受けたのか、どういう薬を飲んだのかといったことが現時点で診療している医師に情報として提供される仕組みになっています。複数の医療機関の間で患者さんの情報を共有すれば、薬の重複や禁忌も避けることができます。


病気になったときだけでなく、出生から死亡までの健康データを蓄積していけば、国民一人ひとりの健康管理と最善の医療政策の立案にも役立つでしょう。全国民の悉皆データを蓄積、解析することで、どういう状態の人がどういう病気になりやすいか、あるいは、どういう薬がどういう状態のときに効くか、といった情報も解明されるでしょう。これまで医学の進歩は限られたデータに基づく研究開発に依存するところが大きかったのですが、ビッグデータ解析によって、病気の解明や治療法の開発が進むことも期待されます。そうした情報は当然、創薬や医療機器の開発にも結びつきます。医療資源の最適な配分を通じて、医療機関の効率化と地域医療の充実化を図ることも可能です。そして最後に、医療保険財政の効率的な運用につながることは改めて言うまでもありません。


健康保険、処方箋、薬局、病院が連結した

エストニアの医療情報プラットフォーム

では、こうした医療の情報化を実現するためには何が必要になるでしょうか。1つは、固有IDに基づく国民一人ひとりのデータの連結です。固有IDを含めた番号制度は、ようやく日本でも動き始めました。さまざまな医療関係のデータをIDを手がかりにして紐づけていく場合、単に結びつけるだけではなく、データの互換性が必要です。データを活用する場としてのプラットフォームをつくると同時に、プロトコルやフォーマットの標準化も課題となっています。もう1つは、基盤的制度の整備です。薬や医療機器の生産から処方までの記録が残り、あとからトレースできるような可能なトレーサビリティの仕組みをつくっていくことも重要です。


世界最先端のデジタル国家として注目を集めるエストニアの「X-Road」という情報連携プラットフォームについて紹介します。エストニアでは、日本のマイナンバーカードがモデルにしたIDカードが使われています。このカード1枚で、いろいろなDBにつながる仕組みになっています。セキュリティサーバーを置いたうえで、銀行や電話、電気、ガスなどのエネルギー、行政情報、医療保険情報、地理情報などが結びついています。


私が現地視察に行って感動したのは、住所を変更するときも、ポータルサイトから引っ越し先の住所を入力するだけで、銀行も電話も、エネルギーもすべて住所変更が行われる点です。これは別に複雑な仕組みではなくて、各サービスのデータベースにそれぞれ住所が登録されているわけではなくて、番号が割り振られていて、必要な時にその番号を通じて、住所情報のデータベースにアクセスする仕組みになっています。


 医療関係の情報システムについては、健康保険、処方箋のほか、学校の保健室の看護師、薬局、ファミリードクター、病院などのデータベースが連結し、データの共有が図られています。処方箋のオンライン化も進んでいて、IDカードを持って調剤薬局に行くと、どこでも処方箋を見ることができて、薬を受け取ることができます。


これに関連して、私が部会長を務める「厚生科学審議会 医薬品医療機器制度部会」では、薬機法等制度改正に関するとりまとめをこのほど行い、薬局におけるオンラインの服薬指導の認可に向けて進みはじめました。オンライン診療は今年4月に解禁されていましたが、薬については、薬局まで出向いて対面で服薬指導を受けることが法律で義務づけられていました。オンラインでの服薬指導が可能になると、遠隔地の人や多忙な人も、診療から薬の受け取りまでを在宅で完結させることができます。



未来を見据えた合理的な思考で

医療の情報化に取り組むべき

医療の情報化に向け、厚生労働省や総務省、経済産業省の審議会・研究会などにおいて、さまざまな議論が行われています。私自身は行政学者ということもあり、番号制度を活用した情報の蓄積が重要だと唱えていますが、反対意見も多く、個人情報の問題などもあって、なかなか議論が進展していないのが現状です。これまでいくつかの研究会が設けられてきましたが、今年7月の「医療等分野情報連携基盤検討会」では、被保険者番号をIDにすることでようやく合意が得られました。これをどう活用していくか、細かな制度設計については今後、議論が進められるものと思われます。


 医療情報化基盤の原型は2015年、当時の厚生労働大臣だった塩崎恭久氏が熱心に進めたICTを活用した「次世代型保険医療システム」にあります。キーコンセプトは情報を「つくる」「つなげる」「ひらく」。最新のエビデンスや診療データを蓄積したデータベースと個人の保健医療情報を統合し、健康管理に役立てるプラットフォームは「PeOPLe(ピープル)」と名づけられました。さらに、そこから一定のセキュリティを確保したうえで、行政、保険者、大学、研究機関、企業が必要な情報を取り出し、研究開発や治療に使えるような仕組みも検討されています。


 やはり、そこでもカギとなるのはIDであり、個人一人ひとりに割り当てられる「識別子」を手がかりにして、健康情報を紐づける仕組みが不可欠であり、識別子としてマイナンバーがいいのか、医療等IDがいいのか、議論が続いています。先述の通り、被保険者番号を使うことで一応の決着はついていますが、それではシステムが複雑になるほか、介護や年金、所得などのデータとの連携も必要になることから、セキュリティ上も有効なのか個人的には疑問が残ります。


 一方、識別子としてマイナンバーを使う場合、個人情報保護と機微情報漏洩のリスクも懸念されます。個人情報の保護はもちろん重要ですが、それよりも命のほうが大事だろうという観点からは、メリットとリスクの科学的評価を行い、バランスをとることが肝要だと私は考えます。


 いずれにせよ、先進国の事例に学び、標準化や個人情報保護、国民の意識といったわが国固有の課題を克服していくことが必要です。医療の情報化を推進し、科学技術の成果を活用していくには、俯瞰的な視点に立ち、未来を見据えた合理的な思考で取り組むことが大切です。

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